FSXは日米合意によって、1990年(平成2年)3月に支援戦闘機設計チームが設置され、開発が開始された。F-1は延命されているとは言え、1997年(平成9年)にも減数する見込みであり、実用試験などを考慮すると、全く余裕は無かった。
機体概観作りと設計が行われ、飛行性能向上や対艦ミサイル運用のために垂直尾翼以外は全て三菱によって再設計された。「その執拗なまでの徹底ぶりは、「国産」という意地の表れでもあり、エア・インテーク(エンジン用の空気取り入れ口)の形状まで設計し直すことに対し、ゼネラル・ダイナミックスのF-16設計チームが腹を立てた」という話をするものもいるが、実際は国産レーダー搭載によって大型化した機首レドームのためにエア・インテークも改設計せざるを得なくなったものの、超音速衝撃波の制御を日本でできるのか、やらない方がいいのではないかとロッキードが指摘しただけである。これに対しては日本側から改設計した図面を送り、ロッキードでも検証するという作業が行われて設計の正しさが確認されたというものであって、線図一本引き直しても治具から設計をやり直す航空機で必要以上に図面を弄くり回すことは無いといえる。
1992年(平成4年)に実物大模型(モックアップ)が公表された。続いて試作機4機の製作に入り、1995年(平成7年)10月7日に試作1号機(63-8001)の初飛行に成功、XF-2と名づけられた。続いて単座2号機(63-8002)と訓練用の複座1・2号機(63-8003・8004)が進空、1996年(平成8年)1月9日には単座型がF-2A、複座型がF-2Bの名称となることが決定し、3月に防衛庁へ納入されて技術研究本部 (TRDI) による試験に供せられた。7月には日米両政府間で「日本国防衛庁と合衆国国防省との間の支援戦闘機(F-2)システムの生産に関する了解事項覚書」(生産MOU)を締結、F-2の量産が日米両政府間で承認され、航空自衛隊は平成8年(1996年)度から調達を開始した。この覚書により、開発分担比率である機体の40パーセントを米国内で生産するため(先の貿易摩擦対策によるもの)、ロッキード・マーティンに生産ラインが開かれ、日本が部品を輸入して三菱で組み立てられた。
初期不良と配備遅延
試作・試験飛行の段階において、日本が得意とする炭素系複合素材で製作した主翼構造部位に微小な「ひび」(顕微鏡レベル)が見つかる、主翼の一部強度不足が見られる、特定の非対称運動を行った場合に垂直尾翼に予測値を超える荷重がかかる、装備品の特定の組み合わせによるフラッターの可能性、増槽装備時の増槽取り付け部分にかかる荷重、等の諸問題があったため、その原因究明と改修作業により遅れが発生した。先の日米交渉の影響もあり、XF-2の今後に対し懐疑的な報道がなされたこともあった。
なお、不具合の量や質の差こそあれども、飛行試験時において不具合が見つかることは多くの国の機体開発において決して珍しくなく(たとえば翼の「ひび」はアメリカのF/A-18E/F開発時にも見られた。部隊配備後にレーダーの不具合についてはレーダーそのものではなく機体のマッチング、艤装に問題があったと言われている。
レーダー自体に問題があれば、C-1FTBで試験しているうちに判明するが、マッチングは実機を使わないと判明せず、開発経験の問題であり、初期不良の範疇であると考えられる。レーダーの不具合についてはアラート任務(領空侵犯警戒任務)付与を延期するよう航空総隊が意見具申したと報道された。
これらの不具合に対してはその後対策が施され、アラート任務は2004年(平成16年)3月から第3飛行隊(三沢基地)、2007年(平成19年)3月から第6飛行隊(築城基地)に付与された。
バス ブラックタ アセアン 水辺の旅 ルコギ プルメリア リッチシ チョック タンク スクーター ナベル ジャポニ ドラル 朝ごはん はばね 忍耐最適 ファイリン バキュー ソネット ローマ わこう オート パナ フェレット ハイム 虹のパノ スケジュ ユーカリ オパール オリジ キャラバン ハット テロロ ケーオー オフセ ちぎれ雲 レース なかせん 相合傘人 テーブル リスク ビップ イースト ミルク オーライ トラン スネーク ネグレクト オート キネシ
その他、アクティブレーダーホーミングミサイルである99式空対空誘導弾(AAM-4空対空ミサイル)を運用できない点を問題として指摘されたこともある。しかしF-2の要求性能を策定した当時にAAM-4はまだ実用化されておらず、1995年(平成7年)に初飛行、1998年(平成10年)に火器管制装置の飛行試験を行う状況で、制式化されていないミサイルの運用能力を持たせるためにAAMの完成を待ってまで開発を遅らせるよりは後日装備とするのは妥当な判断だという見方である。
F-2の量産初号機は2000年(平成12年)9月25日に航空自衛隊に納入された。56中業への記載から19年、当初の配備予定から13年遅れ、F-16改造開発決定以降の配備予定からは3年遅れであった。開発費は3270億円であり、米国による当初見積もりの6000億円には及ばなかったが、日本側予測の1650億円をはるかに上回った。
なお、F-2の配備の遅れにより、3個支援飛行隊体制が維持できなくなることが早期に予想されたため、F-4EJ改を支援戦闘機に転用、その分のF-15を追加調達する処置がとられた。
一部では戦闘能力に問題があるともいわれているが、初飛行から最初の10年間で1機も失われず、単発エンジンながら非常に信頼性の高い機体である。なお、主力戦闘機F-15Jは最初の10年で5機を事故で失った。
FSX計画の評価
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FSX計画に際しては、F-1による実績や国内開発派の攻勢による情報リーク、開発時期が後にバブルと呼ばれる好景気に重なっていたこともあり、日本は「国産」への高い期待があったと考えられる。しかし実際にはアメリカとの共同開発という形で落ち着いたのだが、この結果となった理由については、単に技術的にFSXの独自開発ができなかったというよりは、種々の政治的な理由によるものが大きいと言われることが多い。覚書が締結されたのが日米政府間の貿易摩擦があり、日本がアメリカに譲歩し続ける中(牛肉や繊維、オレンジ問題など)でのことであったためである。
また、実際に生まれたF-2A/Bについて、「あの時、国内開発で決定されればより優れた機体ができた筈だ」という意見も存在するが、当時の日本は上記の通り、政治的のみならず技術的・時間的な面から考えても独自開発は困難であったと考えられ、そこから国際共同開発は必要不可欠なものだったとの考えも多い。しかし、FSX計画へのアメリカ世論の反発、いわゆる「不平等条約」による一方的な技術提供や、F-16のソースコードやエンジンの供与に関してのアメリカの渋り、それらのことから読み取れるFSX計画に対するアメリカの姿勢、納期の遅れによる開発費の高騰、それに伴う機体単価の高騰、試験時・配備後を通しての種々の不具合、それらの原因による調達の軒並み削減、等といった数々の問題が相次いだことが、結果として「もし国産だったらこんな結果にはならなかったのでは」といった意見を噴出させる要因となったとも言われる。
その一方で技術面については、当時の日本は自国のみで最新鋭機を開発する能力こそ乏しかったとしても、前述のアクティブフェーズドアレイレーダーのように、部分的なレベルに限定するのであればそれなりの技術を有していたと考えられる。
以上の通り、FSX計画の評価は人によって否定的・肯定的を問わずいくつにも分かれており、単純に「FSXは成功だった」あるいは「失敗だった」とひとくくりに論ずるのは難しい。
機体
単座のF-2Aと複座のF-2Bが存在する。支援戦闘機、つまり戦闘攻撃機である本機は、前任機F-1と同様に対地・対艦攻撃能力に特化した機体である。機体形状はベースとなったF-16とほぼ同じではあるが、航空自衛隊の要求を満たすための改造や再設計箇所が至る所に見られることから「パッと見た形状以外、すべてが違う」などとも言われることがある。
F-2はF-16をベースに日米共同開発された機体であり、F-2には単座型のF-2Aと複座型のF-2Bの2種類が存在している。F-2AがF-16Cブロック40/42、F-2BがF-16Dブロック40/42をそれぞれベースとしている。F-2Bは機種転換及び高等操縦訓練に用いる機体で、後席スペースを確保するために搭載電子機器や燃料容量が減らされている以外はF-2Aと同様であるF-2の生産は三菱重工業のほか、ロッキード・マーティン、川崎重工業、富士重工業、IHI等の各企業が分担して機体の各ブロックや部品を生産し、それを三菱重工小牧工場にて組み立てるという形で行う。日米共同開発のため、米国分開発経費として1機当たり47億円が支払われているとも言われる。また、主翼は左右で製造しているメーカーが異なる。
基本構造
ベース機からの改修点は数多く、胴体は延長され、主翼面積を拡大(主翼面積はF-16C/Dが27.9m?に対し、F-2A/Bは34.84m?)することで重量増加による翼面荷重の増加を抑え旋回性の向上を図っており、同時に水平尾翼やストレーキ(主翼の前方の機体張り出し)も面積が拡大されている。よって、垂直尾翼の形状くらいしかF-16との共通点がない。エンジンはF110-GE-129ターボファンエンジン(クリーン時約75.62kN/アフターバーナー時約131.23kN)に決定され、これをIHIにてライセンス生産し搭載している。機体大型化による重量増加を最小限に抑えるため、翼には炭素繊維強化複合材による一体構造を採り入れている。これらの措置により、機体を大型化しつつも空虚重量をF-16Cブロック40より900kg程度の増加にとどめた9527kg(F-16Cブロック40の空虚重量は約8627kg)としている。
兵装の搭載能力も航空自衛隊の要求に合わせたものとなっており、特筆すべきは空対艦ミサイルを最大4基まで携行出来る独特の機能である。これは周囲を海で囲まれ、また政策によって作戦機の総数を制限されている日本の特殊な事情によるもので、世界的にみても稀有な能力となっている。ベース機のF-16Cブロック40よりハードポイント数も増加されて、両翼端に各1箇所、両翼下に各5箇所[7]、胴体下面に1箇所の計13箇所が存在する。
その他、ステルス性向上を狙った電波吸収材(RAM)の導入、機内燃料容量の増大(F-16Cブロック40の約3896Lに対しF-2Aは約4750L)、着陸滑走距離を短縮する目的でドラグシュートを搭載する等の改修がなされている。全体的な外見はベース機のF-16C/Dと似ているが、細部では改修により変化している点がいくつか存在し、F-16C/Dと判別する際の指標となる。主な点として、大型化し垂れ下がったレドーム、レドームの改修に合わせて形状を変化したエア・インテーク、フレームを2本に増やして3分割化した風防、面積が拡大しテーパー翼とした主翼、ドラグシュートを収容するために延長した垂直尾翼付け根のフェアリング等が挙げられる。